『FIRST STORY』
著者:櫻朔夜
『いつかきっと。』
そう言って夢見がちな瞳を明後日の方向へやったまま、微笑を湛えていたあの面差が懐かしくも遠い。
私は内ポケットをゴソゴソと引っ掻き、使い古したパスケースを取り出した。二つ折りのそれを開くと、右に定期券。左に妻と子供のスナップ写真。いつもと同じ、いつもの定位置。
暫く写真を眺めたあと、私はその裏側へと指を突っ込む。ザラ…と、指先に感じる傷んだ紙の感触。私はそれを丁寧に引き抜いた。落ち込んだ時、挫折した時、いつもそうしているように。
彼女はいつだってエキセントリックな発言で、周囲の顰蹙を買っていた。やれ宇宙人に会っただの、やれ幽霊が出ただの。海辺の小さな港町で、それはあまりに稀有な存在でありながら、異端でもあった。彼女が口を開こうとすれば誰もがその耳を澄まし、出掛けようとすれば皆がこぞって付いて行きたがる。
何の娯楽も無い集落にあって、彼女は正に『ちょっと変わった面白い奴』であった。
地区ではたった一つしかなかった高校に、殆どの同級生が揃って進級した頃だったろうか。この界隈に二、三校あった中学からの新入生が一同に会して初めて、私達の中で『変な奴』だった彼女の認識が変わった。彼女はとても『綺麗』だったのだ。他校の同級生と比べてもそれは桁違いで、今までは突拍子も無い思考回路に隠れて見えなかった、別の面が一気に抜きんでる形になった訳だ。
今までとは違う意味合いで、誰もが彼女を追いかけた。普通にしている分には、彼女は完璧なマドンナだったのだが、三年という高校生活だけでは、彼女を理解し得ることなど、到底無理な話だった。
一人、また一人と、彼女の他意の無い電波系な発言によって、走者達は見事に散って行った。彼等は彼女を『高嶺の花』だと口々に話し、相手にされなかったにも等しい事実を美化し、見栄を張ってはいたけれど、私にいわせれば彼女は『異次元の花』だった。
だがしかし、それらを興味も無く遠巻きに眺めるだけで何の取柄も無かった私の方に、神は同情したらしい。私には、多分一度だけ、彼女と『きちんと』話をできる機会があった。
夏休みだった。酷く暑い日に、私は課題の資料を探しに行こうと、地区公民館の図書室へと立ち寄っていた。地域活性計画とか何だかでその頃新しく建造された図書館の方が、蔵書の量も質も格段に上だったのだろうが、昔から慣れ親しんだその図書室が、私は好きだった。
図書室の引き戸を開けると、右側に書棚、左側には靴を脱いで上がれるフリースペース。正面には、ほとんど誰も座ることのなくなった円形の机。私は右手へと進む。棚は数列しか無く、私の探す資料は確か一番手前だったと記憶している。
数冊の本を手に取る。
『借りるまでも無い本はコピーでもさせてもらおう…』
そんなことを考えながら、引き戸へと向かい始めたときだった。誰も居ないはずだった図書室の中で、奥の棚の向こうからバサバサと本が崩れ落ちる音がしたのだ。怪訝に思った私は、手に持っていた本を低い書棚の上におき、そのまま恐る恐る棚の間を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
そう声をかけると、その女性も誰も居ないと思っていたのか、少し驚いたように顔を上げた。彼女だった。そして私だと認識すると照れたように笑った。
「えへへ…大丈夫」
それから数分、お互い無言で崩れた本を棚に戻す作業に徹した。横目に覗いた彼女の顔は、相変わらず綺麗であったが、棚に戻す際にチラチラと覗き見える本のタイトルは、『宇宙の秘密』だの『世界の謎100選』だの、相当怪しいものばかりだった。さすがの彼女も、高校も最後の1年となれば、自分の発言が回りから見るとおかしい、ということに気がついてはいたのだろう。いつからか大人しく控えめで、影に隠れるようにはしていたが、内面はそうそう変わらないらしい。
落下していた本も最後の一冊だった。手に取ろうと腰を屈めた私に、彼女が口を開いた。
「あ、それはいいの」
そう聞いて、ついでだからとそのまま拾い上げた本を彼女に手渡した。
「ありがとう」
受け取りながら微笑む彼女に、誰が『変人』のイメージを重ねることができようか。
「この本はコピーしようと思ってたから」
「僕もコピーしに行こうと思ってたところなんだけど、どうせだし一緒に行く?」
「うん」
階下へと降りつつ、私は彼女に尋ねた。
「ああいうの、どうしてずっと好きなの?」
彼女は少し考えてから答えた。
「だって、非現実的って言われてるけど、ものすごく現実的でもあるでしょう?」
「…」
「この世界は分からないことだらけだもの、『有り得ない』なんて言い切ること、誰にもできないじゃない」
「まぁ、そうかもしれないけど」
「それに、何て言っても、夢がある話だしね!」
大胆にも、『現実的』だと言う反面『夢』だとも言う、恐ろしく矛盾した発言をして笑う彼女は、今まで見たことも無いほど生き生きとしていたのを覚えている。
「お先にどうぞ」
と促され、まず私が本の中の必要な頁だけをコピーさせてもらった。次に彼女。
別に用事がある訳でもなかった私は、そのままコピーをする彼女の背後に立ってぼうっとしていた。
「ねえ」
彼女が本をひっくり返しながら呼びかけてきた。
「何?」
「これ、あげる」
手渡された用紙には、引き伸ばしてコピーされた妙な写真が写っていた。
「何これ」
訝しむ僕に彼女はあっけらかんと答えた。
「ミステリーサークルよ!」
彼女がコピーしていた本は『UFOの脅威』という、実に見たことも聞いたこともないような出版社から発売されていたものだった。私はそれを見つめることしかできなかったが、幾何学的な模様と幾重にも連なった円形が美しい、と思った。
「これって、何なの?」
私は何度目かの『何?』を発した。
「UFOの着陸跡かもしれないんだって」
彼女は目を輝かせて続けた。
「私はこれを見に行って、この目で宇宙人を見るのよ!何だか物語みたいでしょ?」
それに私は、たったこれだけ答えたのだった。
「ステキじゃないか」
その言葉が、彼女にとって生涯初めての肯定だったのかもしれない。
そのまま帰り道も途中まで同行し、彼女の熱弁は続いた。映画に出てくる異星人達、謎の飛行物体の話。私は否定するでもなく聞いていたが、なんとなく頭の片隅で、もしかしたら彼女の言うとおりなのかもしれない、と思い始めていた。
それだけ、彼女の追いかける本気の目が私に訴えかけてきていた。
別れる間際、彼女は力強く言った。
「話してたら、ますますできる気がしてきたわ。いつかきっと」
私は、先程パスケースから引き出した、古い紙切れを広げていた。そこに写っているのは、紛れも無く『ミステリーサークル』。それはあの時、彼女が私にくれたコピーだった。すでに黄ばんで、折り目はボロボロになりかけていたが、あの時の、夢を追いかけていた彼女に励まされるような、そんな気がして、ずっと捨てられずに何年も持ち続けている。
「ねえ」
私はその紙切れのミステリーサークルへ話しかけていた。
「UFOの着陸跡かもしれないんだってね。でも、人間の、イタズラだって言われてる事、知ってるかい?」
今日は彼女の17回忌だった。高校卒業後、何の夢もかなえられないままあっけなく交通事故で逝った彼女は、それを知る術も無かった。果たされなかった『いつかきっと』という言葉が、私に重くのしかかるように耳の奥でリフレインしていた。
なぜ呼ばれたのかも分からないまま法要が終わったとき、まだまだ健在な彼女の両親が私にそっと封筒を渡してきた。
「これ、あの子から。あの子亡くなるときにね、こうしてくれって言ってたから。随分経ってしまったけれど…」
それが私の呼ばれた理由だった。実際、私は彼女が亡くなっていたことすら知らなかった。高校を卒業後、私は都内へと就職してしまったからだ。彼女が居なくなってからもずっと、このミステリーサークルが、夢を諦めない気持ちを私に教え続けてくれていた。私はあの時からずっと、彼女の夢の一端を担ってきたのかもしれない。事実、こうして縁があったわけだし、遺言通りにしてやろうと、彼女の両親が私を探し出すためにした苦労の数々には、推し量れないものがあった。
彼女が私に渡してくれと頼んだのは、彼女の骨…だそうだ。意味が分からなかった。しかし、私なら分かると言った彼女のことだ、多分私と話したことのある何かに起因しているに違いない。私は考えていた。そのコピーを眺めながら、彼女を思い出していた。これを渡されたときにヒントがあるのだ。その『何か』は。
数時間、久しぶりの地元の漁港の隅に腰を下ろして考え込んではみたが、何の事だか思い出せない。諦めて帰ろうと、実家への道をたどり始めた。あの公民館の前も通り過ぎ…
そこで僕は、はたと立ち止まる。何か、思い出せそうな……
「ああ、そうだった…」
あの日、この道で彼女は映画『E.T.』の話をしていたのだった。真夏の陽射しの中、きっとあれはいつか現実になるわ、と弾んだ声で。そう言いながら、空へと人差し指を向け、私を振り返って眩しい顔でこうも言った。
「ほら、こうすれば私、宇宙と心を通わせてるみたい!」
私は、彼女の人差し指を預かったのだ。
「そうか、わかったよ」
彼女の指先は、この先大気を漂い、天地へと溶け込んで無限の循環を繰り返すだろう。それが生み出す熱はやがて放射され…
彼女の宇宙への物語が始まろうとしていた。私はもと来た道を引き返し、漁港の灯台へと昇った。少し、力を込めるだけで簡単に細い骨は砕けた。
「行って来い!」
それを、中空へ、パッと放る。投げられた塊は吹き抜けた風によって一瞬で形を無くし、粒子となって散って行った。暗くなりはじめた空に、青い海が綺麗だった。
遠雷。何時の間にか重く垂れ込めるような雲が広がっていた。それとは全く逆に軽やかな歩みの私の肩に、ポツリ、と雨粒が染みを作った。柔らかな雨だった。道路に、屋根に、停車しているタクシーに。この雨は、私だけでなく、万人の許へと降る事だろう。それぞれの新しい物語を待つ人々のところへと。
そして彼女は、全てと心を通わせることだろう。これからも私に何かを与えてくれるだろう。そう確信して、私はあのミステリーサークルのコピーを、ポケットの中で強く握り締めた。
●《自己批評》
『……ご、ごめんなさいです(TдT)
遅れますとメールしておきながら、その期日にも間に合わず。。。
久々に携帯で書きました(えぇ
ミステリーサークルと聞いて安直なイメージしか持てない僕を笑ってください orz』
《+ AcetiC AciD + 櫻朔夜》
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