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朔 (櫻 朔夜)
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自己中30%・アルコール15%・思い込み20%・意欲35%,でも人生換算は120%(アホ

※イラストは某絵掲サイトにてQサマの線画に塗り・加筆させて頂いたモノです。
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化学変化の仮定と過程
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小さい頃
私には夢があった

ケーキ屋さんになりたかった
お花屋さんになりたかった
パン屋さんになりたかった

きっと当時なら
ありふれた幼児の夢

お嫁さんになりたいとか
そんなのは無かったけど


今夢があるかと聞かれたら
ハッキリとは答えられないが

絵を描いていたい

ただそれだけしかハッキリしていない



きっとずっとやっていると断言できるけど


夢というより
維持する意思であって
なりたい自分ではない

なりたい自分は

負けない自分で

何があっても

絶対崩さない自分とか
絶対崩れない自分


自分に対しての理想は
確かに高いのかもしれないけれど

まだまだだと
いつでも
終わりは無いと




そう思うことが
夢に摩り替わるわけではないしね



夢って何だ?

夢ってどこにあるの?





ただ私は




絵を描いて

絵に描いて


上手くはない
評価されるレベルには
程遠い



それでも

頭の中を
白い壁を


あの何も無い空間を


無くしたい
埋めて
尽くして
潰して
消して




ただ私は






絵を









現実的ではないけれど

夢に描いた絵を

夢を描いた絵を








絵を夢と

ただそれだけに

ただそれだけが

私だと

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お久しぶりですの記事を上げてから
早3ヶ月近く…(笑

またしてもお久しぶりですね。

最近、もともとの仕事に加えて、バイトも始めたので
結構キツキツの毎日を送っていますが
それはそれで案外楽しいもので(充足感はある)

そして

それはそれで

新しい事に目を向けるのと同時に
何かから目を逸らす事にもつながる。
常時ではなくても。

全てに同じ視線を配れたらどんなに素敵なことか。
しかし
懸命になる事って
同時に2つはこなすことはできないし

あ、「同時」にできないだけで、それぞれ別な時間にならできますけどね。

でもそれが2つ以上あったとき
限られた時間しか無かったとしたら

何かの時間が減っていくのが当たり前のこと。
必然的に、どれかから目を逸らす結果になる。
ま、「目を逸らす」って言い方も大袈裟かもしれんけどね。

でも、それに遠からず。


私は今、

何から目を逸らしてしまっているだろう。
「忙しい」事実にかまけて
何を考えず、見ないようにしているだろう。

何を忘れてしまっているだろう。
何に言い訳しているだろう。
何から逃げているだろう。

『何を思い遣れずにいるだろう』




何もしない
フラットになるための時間。
鈍くなった感性を
また引きずり出すだけの時間。

最近は、こういう時間は意識しないと
作ることができなくなってきた。



計算されて造られた事象の中の方が
(例えば仕事とか)
その時間は得易いものなのかもしれない。

自然と造られた事象の中でこそ
(例えば人間関係とか)
その時間は限られた存在でしか在り得ない。


その時間は『自由』とも言うのかもしれない。
自分の事も然り、誰かの事を考えたり
何かをしようとしたりする『時間=自由』。


そんな事から目を逸らして
背を向けて
一体何が出来るというのだろう?


とても大切なものなのに

何を言い訳にして
目を逸らしていることに赦しを得ようとしているのだろう。
目を向けている先に
今見ないようにしているものが
また巡ってくるかもしれない事を考えたら
言い訳なんてできる筈がないのに。


もっと目を開け。
同時に2つ以上ができないなら
せめて視野を広げろ。

『思い遣る』ことは、人間に対してだけでない。
時間でもいい、行動でもいい。
それを汲むのは自分ではないのだから。


ぼんやり生きるな、何かを思い遣ろう。

そうすればいつだって


振り返って、目を離さなくてはいけなかった物全てが
視線の先で一列に並んでいる筈だから。

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しばらくブログ(ココ)に記事を上げていなかった為、どデカイ広告が差し込まれてしまったのを
数日前に発見しまして。
仕方なく、mixiで書いた差し障りの無さそうな日記をスライド…

使いまわし万歳www
んでその作業中
最近これと言って中身のあるものを書いてない事に気が付いた。

あれれ…

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創るってのは、それが何であれ犠牲を孕むもんだと思う。
その犠牲とは例えば、体力、精神力、時間、人間関係…



食事の度に咀嚼をし、時間を割いて、会話を楽しんだりしながら、他の命を貰う…つくる事で言えば、体だってそんなものなのだから、『創る』事を難しく考える必要は無く、私としてはそんな日常生活の行動と、パターンとしては同じものだと思う。

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今日はイトコの命日でございました。

お盆にお参り行かずだったので。起床後、実家に連絡を入れて車を調達し、職場に寄ってケーキを買い母方の実家へ。
祖父母と叔母夫婦、従兄妹達の二世帯。

到着すると、祖母と叔母と従妹の女性陣しかおらず。仏壇にお参りしてからケーキを食しつつ近況報告など…

途中、仕事だった叔父から電話があり、叔母がお迎えに出掛けた以外はのんびり。囲碁に出掛けていた祖父も帰宅し、全員の顔も見たしさぁ帰るかぁと仕度を始めると、『ご飯食べてきなよ』と。

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…たまたまやっていて
結局全部見てしまった…

見たいなとは思ってたけど
こんな形で見るとは…


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夜中も過ぎの
ダラダラした妄想。


お彼岸だった。

あまり世間の休みやら旗日と関係の無い仕事だからだろうか、最近少し疎い。


彼岸てぇのは
三途の河の向こう岸だが

果たして
あの世ってのはあるのだろうかね。


死んでみにゃ分からん。


ただし自分は『ある』と
そう思っている。

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読めない人間って居るもんなんだなぁと。

どんだけ一緒に過ごしていても
どんだけ言葉を交わしていても

行動のパターンは読めるが考えが読めない。
何となく察せられる雰囲気はあるが踏み込む事ができない、そんな人間。

その一線は果たして

ソイツが引いたものなのか、俺が作ったものなのか、自分自身それすら判断できない、そんな人間。


居るもんだなぁと思う。

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 独りで生きていると思い込んだ者がいる。例えばそれが、本当にそうだとしても、それを見ている他人が居る以上、完全な独りなど在り得ない。

 他人と比べられるのが嫌だと言う者がいる。それなら唯一の自分を大切にすればいい。自分の確立が自身で出来ないのなら、比べられている対象すらも見えていないのだろうに。

 個性と集団性を履き違えている者がいる。個性的と謳われ、大勢の目に触れた以上、その個性は脆い物となる事を知っているなら構わない。

 先入観に捉われた者がいる。やってみなければ解らない事、知ろうと思わなければ知れない事を後回しにし続け、自分には出来ないと言い続けるのであれば、二度と口にするな、と思う。

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 思い通りにならないことってのは意外と多いものである。爪の先ほどの小さなできごとから、抱えきれずに押しつぶされそうな勢いで迫る出来事まで、その程度の違いは別として、挫折したり絶望したりの繰り返しがあるからこその人生だと思う。

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