僕には、世間一般の言い方をするところで、裏切られ続け、裏切り続けた人が居る。僕は相手の裏切りを許し続けたが、僕の裏切りは1度たりとも許されなかった。だからという訳ではないが、最後まで僕は裏切ることをしなかった。許されなかったのは、相手が僕を、裏切るはずの無い人間だと安心しきっていたせいかもしれない。
僕が初めて裏切った時。許されかけて、僕はまた裏切った。許され慣れた相手は僕の謝罪を期待していたかもしれないが、裏切り続けられた僕は、相手の期待が許せなかった。
仕返しをしたかった訳ではない。僕は裏切られ過ぎ、疲れたから裏切った。それだけの事。
裏切りと呼ばれるものを長く許し続けることが出来た僕は、つまるところ相手にそれだけの期待を持っていなかった。行動が予測の範疇を出ないから。
相手は、僕からの裏切りを予測できなかった。何故なら、裏切り行為がずっと許されてきたから。今回も許されるという安直な予想と期待があったのだろう。
『許される』という部分に期待を置くのが許せなかった。期待するべき部分はそこではない。
何故、相手は僕自身への期待が持てなかったのだろう。経験上の予想を抜け出せない発言は、僕には届かない。
本当の期待とは、相手に希望を押し付ける事ではない。勘違いしている奴が多すぎる。自分を押し付け、受け入れられないことを裏切りと呼ぶお前は、身勝手さの権現に成り下がっている。何故分からない?
常識的な『裏切り』ではなく僕の感性で話す。僕が相手に持つ期待は、いつも裏切られる事が無い。
ただし絶望はする。裏切られたと感じた時ではなく、無理と判断した時に。それは僕も相手に希望を持っているからだ。それを裏切りとは思わない。強いて言うなら受け入れられなかった事への僕自身の悲しさ。
裏切られたと思うほど相手を知っている訳でもないし。
よく知っている人間(仲間内)であれば、こちらが裏切るようなことをしない限り、彼らは裏切らないことを、自分は良く知っている。
『裏切られる』とは都合の良い責任転嫁にさえ思う。自分の押し付けを棚に上げ、相手の器の小ささを、さも簡単に嘲る事ができる言葉だ。それを言う前に、自分が信頼・信用されるに足る存在だったかを省みてみると良い。本当に裏切られたか?裏切っていたのはお前じゃないのか?
恐ろしくて、相手に期待なぞできなくなるだろう。
僕の口癖→『期待しないで待つ』
裏切られるのが嫌だからでなく、相手に来るべき『その時〔期〕』を『待つ』事こそが本来の期待であるから。答えを急ぐから裏切ってしまう。押し付けるから裏切られたと感じる。
相互理解が足りないからそうなる。受け入れられる範囲を知り、無理せず互いを認め続けられる限り、そこに裏切りは生まれ得ない。
ま、つまんない話だけどさ〔笑〕