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朔 (櫻 朔夜)
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※イラストは某絵掲サイトにてQサマの線画に塗り・加筆させて頂いたモノです。
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今起きたばかりで
あまり頭は回っていないのだが …


客観的に物事を捉える為に必要なのは
全くと言って良い程自分を排除した、
世間で言うところの常識を持った目でなくてはいけない。

常識を知らずにいる人間は
客観的に見たつもりで居たところで
主観から抜け出す事はまず無い。

常識の物差しや基準をどこに置くかでも違うけどさ〔笑〕

特定の人物の気持ちや目になって
きっとこの人はこう見るだろうとする事も
ある意味では客観的と言えるが
そこには、ただの主観的な『予測』であるという
勘違いが潜んでいる可能性だってある。


だから、
客観的でありたいと願うならば
大多数の意見である『一般常識』とか言うものを
知っているべきなのかもしれないと思う。

それに従うか従わないかは
また別の話であるので
触れはしない。



主観的である人というのは、
ある意味、自我の構築に時間を要する人と考える。
〔ここでの自我は客観性の有る無しにかけて〕
上記の客観性を下地に考えるなら
多数であるか少数であるかは別としても
主観的な人間に成り得る人間とは
限られた範囲の中でしか
自分の意見を持てない人間ということになる。


それが悪い訳では全くないが、
好きなモノを掘り下げたり追求したりするうちに
そのフィールドでしか
物事を捉えられなくなるとしたら

客観的に見ているつもりでも
その視界には偏りが生じ
その意見が世間で少数であればある程
限り無くその人物は主観的に見られがちである。
受け入れられる事が少ないからだ。


例えば簡単に説明するなら
最近は随分世間も寛大な『アキバ系』。
こんな名前が付けられるずっと以前から、
同系統のタイプの人物は
誰しもクラスに1人ぐらい居た記憶があるだろう。
オタクとか呼ばれていたかもしれない。

そして、何故か浮いた存在である。
好きなモノを追求する事は
悪い事ではないにも関わらず。
その世界から抜け出せないような、
ある意味固定した世界観を持つ人間は
究極の主観性を持った人間ということになり得る。
酷な事に、一つの世界を極めようとする行為は、
その人間が他の世界をあまり知らない場合、
単なる了見の狭い人間と位置付けられてしまう。

故に、その人間が客観的になったとしても
限られた視界しか持ち得ていない=客観的とは言い難い…となる。
他の意見を知らないからだ。
客観的になって自分を分析し主張しても
それは同じフィールド内に立つ
ごく少数の者の同意しか得られない。

受け入れられたいなら、理解されたいと望むなら、
多くの人と関わり、沢山の世界を知り、
何よりもまず自己を確定し
下らない邪推や予測をするくらいなら
一歩離れた目で自分を眺めてみる。

自ずと気づく。理解されないのではなく
理解されようとしていなかったと。

言葉の羅列は例え完全でも不完全でも
真に伝えようと思わない限り
誰にも伝わらない。
己が確定しない限り、それは他から借りた
欺瞞の言葉だ。貴方自身の言葉ではない。
他人が読んでどう感じるかの可能性のパターンすら
かなり少ないのだろう。



他人を捉える時、
僕は予測だけでは決して捉えない。
話したり一緒に行動するなり、
出来るか出来ないかは問題ではなく
本質を理解しようと努力する。

予測は予測、経験は経験、知識は知識でしかなく、
相対する人間が違えば
その数の分
違う世界が存在すると思って僕は他人と接する。

前述の、『予測』『経験』『知識』等は
自分の主観に対し、影響が無いとは言い切れないのだから
それを相手に重ねて、むざむざ視界を曇らせる必要は無い。



だから、客観的に自分や物事を眺めたい場合、
一番簡単で手っ取り早いのが『常識』ではないかと。
僕は思う訳ですよ。はい。


んで、そんな僕はというと
客観的に見ると、常識では考えられない
ごく少数派のタイプの人間であるのは
間違い無い〔笑〕
自分が貴重とかそんなんでなく。
単に馬鹿なだけなんだけれどもね ゲラ
そしてある意味、ただの普通の人間でもある。
それは他の多くの意見も知った上での結論である。

かと言って
主観的に申し上げるなら
それを間違いとは思っていないし
今更変えるつもりもない。
僕は僕。



ここまで考えて、主観と客観とは、
対極の言葉でありながら余りに近い存在のものであると
気が付いた。

使いこなす人がどれだけ居るのか知らないが、
勘違いしている人も沢山いると思う。



客観視できる時、常識・非常識・価値観や知識、
どの世界も知ることができる僕たちは、
それによって物事を判断した場合、
客観性をいつの間にか
主観に置き換えているとも言える。


故に、手っ取り早いのが『常識』だってのが、
僕たちの頭にすりこまれているのだ。
多数の人間から見た同意を得たい、
意見を訊いてみたい…
一番簡単じゃね?
『じょうしきてき』。




そんなもんクソ喰らえと思うなら
客観視したつもりの主観的な世界の中心で
溝に嵌ってもがき続けると良い。


例え異端と呼ばれようと、
少数派の存在であろうと
フィールドを同じくする人間は
必ずどっかに居るだろうさ。


世界を自ら狭めるような馬鹿な事さえしない限り
人はいつでも外から内から
自分や他人を眺め、そっと置き換えながら
その境界を曖昧にしている。




バカな生き物だよ、僕たちは。




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