んな訳で、お言葉に甘えて美味しい晩御飯を頂いちゃいましたww
おこわと、唐揚…好きなものばっかだったww
叔母家族が揃って眠そうだったので『朝早かったの?』と聞くと、『叔父ちゃんの仕事前、早朝のうちにお墓参りと、〇〇(←地名)行ったんだ』との答え。
〇〇ってのは従兄弟が亡くなった場所で。3人が亡くなる事故でした。
あれから13年が経つ今でも尚、行ってるんだ。『それじゃ眠いよね』と、普通に返事しながらも当時を思い出しておりました。
あのお兄ちゃんも、生きてたら今年でもう31歳。結婚したり子供がいたりしたかもしれないなぁ。
当時私は15歳になる年でした。18歳だったお兄ちゃんをあっと言う間に追い越してしまった。
綺麗な人でした~。相変わらず写真の中ではそのままの顔。余りの衝撃にあの後私は、中学生ながらも、叔母夫婦に『元気な子供』を見せ付けてしまうようで暫く会いたくなかったのを覚えています。
今もまだ、その気持は私的には完全に払拭できていないけど。
よく、どんな心境であれ亡くなった人をいつまでも想うと、その人が成仏できない(化けて出る)とか言いますよね。
それでも、荼毘に臥される間際まで、泣いて棺桶に縋っていた叔母を見ている私は、簡単にそうとは言えないと思う。
思いがけず身内を亡くすという事実が、遺された人に何を残すのか、それが良くも悪くも
前に進んでいく生者と
立ち止まってしまう死者と
両者を隔てる壁は高さを増す他ない。
今でも当時のままにされたお兄ちゃんの部屋を見ていると、心のどこかでは受け止めきれていないのかもしれないと感じますが、どんなにゆっくりでも進んでいない事など無いし、事実は変えられない。
一時は衰弱した叔母が、何を想っていようと
今、笑って話せている事実があればそれが手向けになるんじゃないかと
そんな事を思った一日でした。
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