お久しぶりですの記事を上げてから
早3ヶ月近く…(笑
またしてもお久しぶりですね。
最近、もともとの仕事に加えて、バイトも始めたので
結構キツキツの毎日を送っていますが
それはそれで案外楽しいもので(充足感はある)
そして
それはそれで
新しい事に目を向けるのと同時に
何かから目を逸らす事にもつながる。
常時ではなくても。
全てに同じ視線を配れたらどんなに素敵なことか。
しかし
懸命になる事って
同時に2つはこなすことはできないし
あ、「同時」にできないだけで、それぞれ別な時間にならできますけどね。
でもそれが2つ以上あったとき
限られた時間しか無かったとしたら
何かの時間が減っていくのが当たり前のこと。
必然的に、どれかから目を逸らす結果になる。
ま、「目を逸らす」って言い方も大袈裟かもしれんけどね。
でも、それに遠からず。
私は今、
何から目を逸らしてしまっているだろう。
「忙しい」事実にかまけて
何を考えず、見ないようにしているだろう。
何を忘れてしまっているだろう。
何に言い訳しているだろう。
何から逃げているだろう。
『何を思い遣れずにいるだろう』
何もしない
フラットになるための時間。
鈍くなった感性を
また引きずり出すだけの時間。
最近は、こういう時間は意識しないと
作ることができなくなってきた。
計算されて造られた事象の中の方が
(例えば仕事とか)
その時間は得易いものなのかもしれない。
自然と造られた事象の中でこそ
(例えば人間関係とか)
その時間は限られた存在でしか在り得ない。
その時間は『自由』とも言うのかもしれない。
自分の事も然り、誰かの事を考えたり
何かをしようとしたりする『時間=自由』。
そんな事から目を逸らして
背を向けて
一体何が出来るというのだろう?
とても大切なものなのに
何を言い訳にして
目を逸らしていることに赦しを得ようとしているのだろう。
目を向けている先に
今見ないようにしているものが
また巡ってくるかもしれない事を考えたら
言い訳なんてできる筈がないのに。
もっと目を開け。
同時に2つ以上ができないなら
せめて視野を広げろ。
『思い遣る』ことは、人間に対してだけでない。
時間でもいい、行動でもいい。
それを汲むのは自分ではないのだから。
ぼんやり生きるな、何かを思い遣ろう。
そうすればいつだって
振り返って、目を離さなくてはいけなかった物全てが
視線の先で一列に並んでいる筈だから。
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