自分に才能があるかどうかつったら、 |
誰のことでもそう、結果は長い目で見ないと。
即時即日で可能性を見極めるってのは
難しいことだけど、そこで可否を問うのは間違いであり、
他人の才能や手腕を信じるってのも、大事なこと。
(ただ、ビジネスが絡むとそうはいかない場面もあるだろうね。。。そこが社会のクソ加減。)
1度自分がそれを信じたら、絶対に裏切らない。
相手が裏切らない以上ねwww
だから信じているのですよw
だから人生かける気で己も才能を伸ばすのですよww
たまにその作業から離れたくなるときもあるかもしれないね~
初めての試みであれば、いずれはステレオタイプ~スランプの時期も来ると思うよ。
でも、それを続けていかねば自分のものにはならない。
せかされて伸びるものでもないし、焦ったところで成長が目に見える訳でもない。
だいたい、自分は、自分が信じた人を落ち目と思ったことはないくらいだからwww
何事も、準備期間というものがあって、
次の段階に進むために上記にもあるステレオタイプに誰でも必ずなる。
これは運動学によく出てくる単語だけど(体育専門者だけに)。
日本語で簡潔にいうところの「概念・固定観念」なんだけど。
(これはウィキペディアにも載っているので。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97”>ステレオタイプ)
これが運動学になると、ステレオタイプの意味の幅がすごく増えるのさ。
人間は何かをするときに必ず位相A~Cのランクに位置づけられる。
次の段階に進む時には必ず、ステレオタイプ、いわゆる簡単に言うところのスランプのようなものに
陥るわけさ。
①位相A=基本を勉強し、頭で理解しようとする行為
②位相B=何度と無く作業や行為を繰り返し、頭では理解できているが、その通りにうまく作業が行えない
③位相C=頭での理解は既に終わり、その行為について考えなくても無意識に体が動く(体が覚えている)状態
人間は何かを拾得するに至るまで、場面や経過は違えども、大まかにこの3つの道を通っているそうですよ。(まぁうろ覚えな部分もありますが…)
そして、ステレオタイプに陥りやすいのが位相BからCへの移行期間。
ひどくなると、スランプへと進行。
単に「固定観念」という言葉ひとくくりでなく、頭で考えること、理解することが先行しすぎて足を踏み出せなくなる、またはその逆で、すでに行っているモノに対して些細なことが気になり、理解していたものが信用できなくなる…など。
確かに一口で言えば「固定観念」という意味の言葉だけど、ただそれだけの意味合いで受け取って良いのか?と自分は思うのさ。
才能に関しても、きっと当てはまるんじゃね?
言い回しは随分変わっちゃうけどねぇ~
例えば、好きなものを自分の才能としてのばしていこうと思う。
作業は一貫して行うものとしても、「勉強→理解→スタイル(作風など)の完成」
がA~Cとすれば、必ずどこかに挫折があるのではないのかね。
そこで己の力を信じてやり続け次の位相へ進むもよし、あきらめるもよし。
更に同じ事を人間関係でも無意識に行っているとしよう。
「相手を知ろうとする→(ほんの少しでも)理解・見切り→相手に対しての態度の確立」
その過程で、信じるに値するかどうかの葛藤、相互理解への道程の相違が、この場合のステレオタイプと呼べる部分なのだろう。
全てはやはり信じる力で成り立っていると、言い切る。ごめんなさい。
じゃぁ裏切りは?裏切りにもレベルがあるんだろうさ。
やってみたらダメだった、それは才能が無かったんじゃない、
乗り越えられなかっただけだと、自分は思います。
そんなこんなで、
人間は何もかも思いこみだけで生きて居るのですよ、
何でもできるっていうね。
そんな人間だけど、誰もが表現の他に第一に持っている才能は
良し悪し・使用判断の基準は各々だが、信じるということだけは、
何も知らない最初の段階において、だれもが出来る開花への一歩だ。
それをすることなく才能が無いと嘆くは愚かであります。(ケロッ